クイズスタート!
回答は選択式です。
8問以上正解で「合格」です!
第2問
1952(昭和 27)年に浜坂、賀露海浜地域が大蔵省から鳥取市に払い下げられた 際、向こう 20 年間はこの地域を( A )として利用することが義務付けられました。
- 農地
- 漁港
- 潮害風害防備林造林用地
- 天然記念物
第4問
戦時下の鳥取砂丘についての記述で、間違っているものはどれでしょうか?
- 1897 年、浜坂砂丘が陸軍演習場となった。
- 吉田璋也が浜坂スリバチ、旧砲台、十六本松を天然記念物にするための申請をした。
- 明治時代、春先に人々は家族総出で十六本松へ出かける「濱出」を楽しんだ。
- 浜坂砂丘で訓練を積んだ鳥取連隊歩兵第百二十一連隊がビルマ方面へ出陣した。
第5問
砂丘の農産物は品質が高いものができると言われる理由として最も適切なものはどれでしょうか?
- 雑草が生えにくいから養分の競合が起きない。
- 砂地の水持ち、肥料持ちがよくないため適正な調節ができる。
- 海岸の近くで作られるから適度に塩分が補給される。
- 風当たりがよいから換気が促進され、蒸れることがない。
第6問
兄弟である( A )と( B )は砂丘文学に欠かせない存在です。( A )は死の1ヵ月前に鳥取砂丘を訪れ詠んだ句が、砂丘の名を全国に知らしめました。一方、( B )は 1914(大正3)年に( C )とともに砂丘で遊び、のちにその様子を小説で紹介しました。
- A:里見 弴、B:志賀直哉、C:有島武郎
- A:里見 弴、B:志賀直哉、C:有島武郎
- A:有島武郎、B:里見 弴、C:志賀直哉
- A:有島武郎、B:志賀直哉、C:里見 弴
第10問
ミステリー小説「山陰ドン行に死す」と書いたのはだれでしょうか?
- 山村正夫
- 島田荘司
- 辻真先
- 島田一男
超上級コース
チャレンジ③
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正解数
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がんばれ~!
こちらの合格画面を写真にとり、
鳥取砂丘ビジターセンター受付にご提示ください。 ※缶バッジは各コースにつき1つとさせていただきます。